今年の夏もスイカ食べましたか?(東京編)

 

 

ふと思ったのは、感染者数5000人の1人になりたくないから週末ステイホームしようと思っていた昼過ぎ頃。「家から一日中出ないとネガティブになる」という感覚を思い出した。そうやな「今日も1日中家に居んとこ(否定文)」

 

後から調べると実際に根拠があった。家の中ではどんな服装で、何をしても、何もしなくても、何も考えなくてもいい。だが外に出ると服装に気を付けるし、周りに気を遣うし、勝手に色んなことを考えるようになる。本来、家でのリラックスタイムはそうした日頃の疲れを癒すのが役割で、その時間が度を過ぎると逆効果らしい。

 

片道30分くらいと決めて、気の向くままに東京の江東区あたり目掛けて自転車で走ることにした。30分は短く感じるが、自転車なら意外に1つの区を縦断できるくらいのお得感で、3密の電車に乗らずに済む。

 

ソファー欲しいから南砂町ニトリくらいなら密にならないと思い、途中からニトリを目指した。

 

途中の道でエスニック料理屋のような店があり、店員さんに声をかけられ、ちょうどターメリック粉の詰替え用が欲しかったので、あるかと聞くと店内に案内してくれた。飲食だけかと思いきや、様々なスパイスの販売もやっている。店主はガラムマサラの使い方やカレーの作り方まで教えてくれましたが、「客に教えていいの?」と思いながら、質問しまくりました。お礼に「次回食事しに来たいけど遠いんですよね」と伝えると、店主がコロナ前に住んでいたのは私と同じ町内であることが分かった。

 

「家に1日中いない方がいい」と思えたおかげで、こんな意外な新しい繋がりができた。スパイスの抗炎症作用にすごい興味があったので幸運な偶然。

 

f:id:additionaltimes:20210823120137j:plain

ターメリック」と「ミートカレーマサラ」

自転車でまた走り出し、スマホホルダーにつけたスマホの地図上に☆が付いるのに気が付いた。鹿児島にいた時から東京に一つだけ☆があると気になっていたところで、自分でつけたであろうはずの☆が何なのか覚えていなかった。よし「近いし見に行こう」

 

江東区にある「砂町銀座商店街」だった。昔ながらの住宅街にある細い道の商店街って感じで、人が多くて全くさびれていない。日本のガラパゴス商店街的な意味で☆を付けてたのだと思う。

 

商店街の八百屋でスイカが安かったので一切れ買った。いきなり「じゃあ公園で食べよう」って今年の夏のクライマックスが来た。

 

自転車専用のF1コースみたいな車道が3kmほど続く緑化遊歩道でベンチを見つけてスイカを食べた。インドの現地人がスパイスをつくる動画をスマホで見ながら。ここは江東区仙台堀川公園って言うらしい。

 

ニトリに到着して2階のソファーを見に行った時に、鹿児島時代の元同僚からLINE通話がかかって来た。イヤホンマイクでその友達と通話しながら店内をただ何周もしている内に2時間経っていた。片道30分もかけてソファー見に来たのに何も見ずにに電話してた的な、でもなぜかめっちゃ楽しかった。

 

慌てて1階に降りると外は真っ暗。帰りはラジオNIKKEIの好きな番組やclubhouseで「アーシングeathing?」について聞きながら、夏の夜の荒川河川敷をサイクリングして無事に楽しめた。

 

家の中と外、世界はこんなに違う、「当たり前やろ!」

趣味2部リーグに種目が一つ増えた「片道30分探検」

・子連れとかでなければ出来るだけ1人で探検した方が楽しい

・面白い場所を見つけた場合は、次回は人と一緒に行けばいい

・自宅30分圏内に興味がない場合は、遠くへ行ってシェア自転車を使う

f:id:additionaltimes:20210822134037j:plain

f:id:additionaltimes:20210822134042j:plain

f:id:additionaltimes:20210822134226j:plain

東京都江東区仙台堀川公園

f:id:additionaltimes:20210822134229j:plain

荒川河川敷

 

ストーリー③ 中国卓球の洗礼

卓球を始めたきっかけは江西省の小さな村に住んでいた時のことで、ある高校生が「卓球って勉強の集中力も鍛えられるんですよね」と私にかけた言葉でした。そこには、青空の下に吹きさらしの卓球台が5台あり、台はコンクリートで出来ていました。ボールを打ってるのは高校生が多かったですが、私が試合しても勝てたことはなかったです。日本では自分の卓球レベルは遊びにしては上手い方だと思っていましたが、上海に戻ってからも遊びの卓球で全然勝てませんでした。

 

あの高校生の言葉がきっかけで、2013年頃にフォアハンドの基礎から本格的に練習し始め、最初は上海人のコーチがボランティアで教えてくれました。卓球は私のように下手でも楽しめるスポーツでもあり、中国で始めるきっかけに巡り会えて本当に運が良かったと思います。実際、人間の行動は殆どが無意識でしていると感じますが、卓球は一球一球が早くて毎秒意識しないといけないことだらけだと思います。毎秒意識し続けるための集中力のなさをいつも感じました。

 

中国で色んな友達から卓球しようと誘ってもらいましたが、大体は職場に連れて行ってもらいボールを打っていました。卓球できる場所が豊富で、遊びレベルならお金を払ってするという感覚はなかったように感じます。

f:id:additionaltimes:20210720102511j:plain

f:id:additionaltimes:20210720102514j:plain

f:id:additionaltimes:20210720102517p:plain

 

ストーリー ② 中国美食の洗礼

初めて串焼きラム肉(羊肉串yang rou chuan)を食べたのは上海人の友達に連れて行ってもらった呉江路(wu jinag lu)の路地でした。大学2年の夏休み日本から上海へ遊びに訪ねて行ったある夜、散歩がてらの夜食に、何もわからず食べたのを覚えています。世の中にこんなジューシーで香ばしいものがあるのかと衝撃でした。ラム肉の処理が良いのか臭みなんて全く感じませんでした。当時は大きいのが1串2元、調味料は見た感じクミン(孜然zi ran)の粗挽き粉がまぶしてあっただけだと思います。最後に「唐辛子要りますか?」と聞いてくれます(辣要不要la yao bu yao/辣要吗la yao ma)。

 

それから2年後、私は上海に留学することになり、数年の月日が流れ色んな変化がありました。

 

先ず、呉江路はB級グルメストリートとして昔から地元で有名でしたが、2010年頃には再開発され大型商業施設の一部となり、今では現代風美食街になってます。

 

串焼きラム肉もいくらかは忘れましたが値上がりして相場が2元でなくなったのは確かです。ちなみに串焼きラム肉は上海では主に新疆出身の人が売っていて中国では大体どこでも食べれます。

 

聞いた話では、私がいた上海の大学の裏門前の屋台で串焼きラム肉を売っている店主の月間売上が3万元に上ると言っていました。屋台なので家賃はなくて、コストは材料と串、木炭、コンロとリアカー、ラム肉を切って串に刺す手間ぐらいだと思います。当時就職した友人の初任給が月3千元だったので、3万元はサラリーマンでは到底稼げない金額です。

 

一方で、中国に城市管理局(中国語で城管cheng guanと呼ぶ)という無届け屋台の取締りを専門にやっているような行政機関があり、彼らに出店が見つかってしまうと商売道具をトラックで全て没収されてしまいます。市民の立場は、屋台って安くて便利で美味しいのに城管に撤去されるのは可哀そうだという声をよく聞きました。

 

屋台の商売人達は仲間内で協力し合ってこの城管のパトロール車両が近くに来ると電話で知らせ合っているらしいです。実際、私が大学の裏門前の屋台で炒河粉(平麺の焼きビーフンのようなもの)を注文して先にお金を渡そうとした時、店主が麺を炒めながら「お金はまだ渡さないで!城管が近くに来てるみたい、もし来たら調理中でも逃げるから」と言いました。私が「なぜ近づいてるってわかるの?」と聞くと、店主は「あそこの店主が電話してるだろう、近くの仲間内から連絡が入ってるようだ」と教えてくれました。確かに見ると他の屋台の店主が片手で炒めながら片手で電話してました。

 

中国美食の洗礼は序章に過ぎず、後に井の中にいた私の美食観は大海を知ることになります・・・

f:id:additionaltimes:20210709233252j:plain

中国の串焼き羊肉

ストーリー ① 大都会上海である晩の出来事

若い女性が私にティッシュを一枚渡してくれました。その晩私は静安寺近くの食事会で飲み過ぎて、帰りの地下鉄の駅へ向かう途中の路上でうずくまっていたところでした。その見知らぬ女性は「助けは必要ですか(需要帮助吗)」と言ってくれました。もちろん私が日本人であることは知りませんでした。

 

なぜそんなに優しくしてくれるのか不思議だったので、知り合いかなと思いながら話をしましたが全く初めて会う人でした。その女性の発音からして上海の地元の人だったと思います。

 

なぜ声をかけてくれたのか聞くのも変な気がしたので、代わりに「今日はどこに行った帰りですか?」と聞くと、女性は「親戚のお墓参りで上海市青浦区に行ってきた帰りですよ」と言いました。

 

その時、私はもう大丈夫だったので「お礼に今度お茶でもご馳走します」と聞きましたが、女性は「全然気にしなくて大丈夫ですよ」と言って、私の服が汚れてるのを見てポケットティッシュ(紙巾zhi jin/餐庁紙can ting zhi)を開けてこれも使ってと1個くれました。ちなみに、日本では街でよくポケットティッシュを無料配布していますが、中国ではみんなスーパー等で1包1元程で買うのが一般的だったと思います。10年前の上海は百貨店のトイレに紙がなかったので必需品でした。

 

お礼を言って駅に向かおうとすると、その女性は最後まで気を付けて帰ってと見届けてくれました。人が溢れる大都会でこんなに周りのことを気にする女神のような人がいるのかと、理解が追い着きませんでした。あの人はどこの誰だったのか未だに不思議に思います。

f:id:additionaltimes:20210709234536j:plain

中国のポケットティッシュ(1枚がハンカチくらいの大きさ)